仁科神明宮の歩みとともに

大町市には、社と書いて「やしろ」と読む地名があります。その社の一番山手の高台にあるのが宮本地区。国宝・仁科神明宮のお膝元として、古くから紙漉き(すき)が行われてきました。それがいつ頃、どのように始まったかは、定かではありませんが、治承3年(1179)頃には、既に仁科神明宮に仕えていた社人が野生の楮(こうぞ)と楡(にれ)のネリを使って紙を漉き、神明宮に奉納していたと伝えられています。

その後、仁科氏の発展に伴い、紙漉きの技術は、農家の副業として社一帯に広まり、その一番北端に位置していた松崎地区の家々でも紙漉きが行われるようになりました。江戸時代になると楮や紙は年貢の代わりに用いられ、製紙業がこの地域の生業として取り組まれるようになったのです。

そんな長い歴史を持つ社地域の紙漉きは、時代の変遷とともに衰退。現在、その技術を継承し、今なお紙を漉いている職人は、一人だけになってしまいました。

水と和紙のものがたり

「本家本元の宮本和紙は既に絶えてしまい、一番北にあったうちだけが残りました。なぜうちが残ったかというと、水が全てを物語っています」
と、教えてくださったのは、信州松崎和紙工業の三代目・腰原修一さん。大町市で唯一の現役紙漉き職人です。

「うちでは、水量や時期に応じて取水栓を変える事ができるんです。夏の間は山沢など冷たい水を使い、冬は山沢は凍ってしまうので、仁科三湖の方からの水を入れ、農作業が盛んな時期は、なるべく農業排水が混じりこまないような水源にするなど使い分けています」

楮の洗浄、煮沸、紙漉きなど全ての工程で大量の水が使われる紙漉き。宮本地区は高台に位置しているため、高瀬川の方まで降りていって水を汲んで来なければならなかったのに対し、松崎地区は大町市の中でも一番低い位置にあり、市内5箇所の水系の水を全て利用できるだけでなく、昔は地下水も出て最終的にはそれを使う事ができたそうです。

腰原さんは、水の美しさと冷たさが、和紙の出来にも影響するといいます。
「冬になると有機質が減って澄んでくるので、紙漉きには具合がいいんです。紙漉きの際に使う保存剤の持ちがよくなるというのと、雪が入った冷たい水や雪解け水にはミネラルが含まれていて、天然の漂白作用があるので。茶色っぽい木の皮もできるだけ白い状態にできるということですよね。そういうわけで、人工的な漂白剤がなかった時代には雪晒しなどをして紙を白くしていました」

水の冷たさだけでなく、性質もまた和紙の仕上がりを決める重要な要素だと、腰原さんは教えてくれました。
「うちの方では色々な水を使うんですが、どちらかというと鉄分が多い軟らかい水(軟水)を使うんですよ。すると、仕上がりはクリーム色っぽい厚みのある紙になります。だけど宮本の方では、高瀬川のミネラル分が多い硬水を使うので、紙が白くなるんですね。宮本紙は、”うすくて白くて光を通しやすい紙”という事で、字を書く紙や障子紙などに。松崎紙は、”厚くて黒くて強い紙”という事で、傘紙とか張り紙とか日常的に使う紙として用いられていました。」

唯一無二の松崎和紙

松崎和紙工業の和紙製品には、どれも葉っぱや植物の繊維などが漉き込まれています。お話を伺えば、草木の葉や花などの天然素材を使うように
なったのは、創業者であるお爺さんが始めたそうです。

「腰原製紙場、松崎和紙という形になってから90年ぐらいになりますが、うちは紙のバリエーションで勝負ということで。天然の葉っぱやなんかを和紙に漉き込んでいるのはおそらく全国的にもうちだけでしょうね」

それぞれの木の葉の採集時期になると山で採取し、葉っぱごとに適正な処理をして、何年も持つように加工しているという腰原さん。採取する葉の種類は年間を通しての需要に応じられるように、モミジやカエデ、ササ、ドウダンツツジ、アジサイなど大量に入手できるものがメインですが、時にはケヤキの分厚い葉っぱや、そばの殻など特殊なものまで。

「うちは、基本的にお客様からのオーダー生産なので、秋には赤や黄色の紅葉を、クリスマスの時期にはヒイラギを入れたり。入れるものによって処理の仕方も違うので、試行錯誤しながらやっています」

こうして、原料調達からその処理、紙漉きまで、あらゆる行程をほぼお一人で切り盛りしている腰原さん。そもそも、どうして紙漉き職人になったのでしょうか?

持てる能力を最大限に生かして

「大学は名古屋に行っていて、卒業後、家に戻ってくるつもりはなかったんだけど、当時は会社に20人ぐらいの職人さんがいて、私が戻って仕事を覚えないと職人の仕事にならないということで呼び戻されました」

幼い頃から、自宅の横に工場があり、職人が池で楮を洗ったり、一連の仕事の流れを見ていたので、目では全部わかっていたという腰原さん。地区内で廃業していく職人も受け入れながら、工場稼働から90年の歴史を守ってきました。しかし、職人さんの高齢化に伴い、5年ほど前からはほぼ腰原さんと奥さんの二人三脚で営業しています。

「和紙といっても、今一般的に流通している和紙はほとんどが機械で漉いたものなんです。住宅事情も障子や襖がなくなり、メールが普及して書簡のやり取りもなくなり、全国的に手漉き和紙は壊滅状態です。今、手漉き和紙が生き残っている場所は、県の伝統工芸品の指定を受けたり、ユネスコの世界遺産に登録されたり、組織体制がしっかりしているところ。うちみたいな一軒だけでは、到底利益を見込める仕事ではないので、自分の息子には敢えて家業を継げとは言わなかったですね。自分がやった仕事に対し、正常な利潤をかければやっていけるのかもしれませんが、それでは一般の人が手に届くような価格にはならないし」そう本音を語ってくださった腰原さん。

一日中水を使う肉体労働のため、腱鞘炎や、手の痺れに加え、冷えから来る関節痛など肉体的苦痛は大きいものの、待っているお客さんのために紙を漉く日々。

「身体はぼろぼろだし、ご大層な紙を漉くつもりはないけれど、お客さんに喜んでいただけるような紙を、自分の能力を最大限に生かして漉いています」

そんな腰原さんが漉く松崎和紙の人気は高く、国宝仁科神明宮の祭祀用としてはもちろん、大町市内の高級旅館などの装飾品やメッセージカードにも用いられているほか、東京の高級料亭や京都のお菓子屋さん、静岡のお茶屋さんなど全国各地からのオーダーがあるといいます。

また、数年前から作業場のスペースが空いたので始めたという工場の見学と和紙の紙漉き体験は、幼稚園児から大人まで、数十名の団体にも対応可能。紙漉きは2時間以内なら枚数制限などはなく、何枚でも漉く事ができるという、太っ腹の内容で、ネットや口コミでお客様からの評判も上々です。

腰原さんが紙漉きを引退してしまえば、松崎和紙の存在がなくなってしまうのはとても寂しいと思いましたが、松崎和紙の手漉き体験や製品を通して、より多くの人に松崎和紙の魅力を知ってもらい、松崎和紙が人々の記憶と暮らしの中で生き続けていくようにと願います。

INFORMATION

名 称 信州松崎和紙工業有限会社
住 所 大町市社6561
電話番号 0261-22-0579
HP https://www.shinshu-matsusakiwashi.com/
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